旭川東高等学校東京同窓会

Vol. 42 初詣=旭川神社

2012年1月2日

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 今年の初詣は、旭川神社でお参りしました。

 

 上川神社は、皆さん良くご存じと思いますが、旭川神社となるとどこにあるのかご存じない方がいると思いますので、ご案内いたしましょう。

 

 旭川神社は、明治26年鎮座し、屯田兵ゆかりの神社として東旭川にあります。市内から旭山動物園に向かう動物園通りの途中にあり、隣り合わせで旭川兵村記念館があります。 明治の中頃、永山、旭川、当麻へ屯田兵が入植し、その地域から屯田兵により開墾が始まり発展しています。この東旭川から現在の豊岡、東光にかけての地域は『旭川兵村』と呼ばれ、その他の地域(現在の旭川市街方面)は、もっと後に発展しており、当時は「忠別市街地」と呼ばれていたそうです。

 

 明治30年、忠別市街地の戸口増加にともない、本来の旭川であった旭川兵村を永山村に編入し、これを「永山村字ウシシュベツ」と称し、残る地域の忠別市街地を「旭川」として独立させるのに同意させ、同年12月北海道庁告示により公表されました。

 

 この処置は、旭川兵村の住民に一言の交渉もなしに行われたため、屯田兵たち村民一丸で道庁を訪れ、訴える事になりました。非を認めた道庁でしたが、すでに「旭川」と呼ばれている町を変更することは不可能であり、打開の作として明治31年道庁が上げた案で合意しました。

 

 その合意案とは、『旭川の発祥であるのは、東旭川であるということを後世に残すため、そのまま学校や神社など「旭川」の名を使用してよい』という許可が下りたという事のようです。

 

 従って、現在も東旭川の中心にある神社が『旭川神社』、小中学校も『旭川第一~第五小学校』『旭川第一~第二中学』となったのだそうです。

 

 一時、永山村に編入されていた旭川兵村は、再び分離し、ここで今の「東旭川」という名をつけたそうです