旭川東高等学校東京同窓会
同好会

◎さんぽを楽しむ会

第13回 日光街道・千住宿コース散策

2014年11月22日(土)に開催されました。

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開催日時

平成26年11月22日(土)10:00~

コース

南千住駅・南口→延命寺→回向院→コツ通り(山谷通り)(南千住宿)→素盞雄(すさのお)神社→誓願寺→千住大橋→奥の細道矢立の碑→やっちゃ場跡→旧日光街道→源長寺→掃部宿→高札場→慈眼寺→勝専寺→千住本陣跡→北千住駅西口周辺にて昼食

 

実施概要

 11月22日、旭川東高等学校東京同窓会第13回「さんぽを楽しむ会」は、「日光街道・千住宿」コースを実施しました。参加者は東高1期から56期までの総勢16名でした。

 

 当日はさわやかな秋晴れのこれ以上ないさんぽ日和。今回も第3回より続いてわかりやすい説明が好評の郷土史家渡辺功一さんにご案内をお願いしました。

 

 午前10時30分に東京メトロ日比谷線南千住駅の南口に集合。さっそく小塚原刑場跡の延命寺へ。ここは江戸時代、品川の鈴ヶ森と並ぶ刑場の一つです。大きな延命地蔵(首切り地蔵)は、東日本大震災の際に左腕が落下する被害にあったとか。線路の向こう側の回向院には、吉田松陰・橋本佐内などの安政の大獄によって刑死した人の墓のほか、杉田玄白・前野良沢らが刑死者の解剖に立ち会ったことを記念した観臓記念碑もあります。小塚原といえば、刀剣の試し斬りと首切り役人として知られる山田朝右衛門の話も聞くことができました。

 

 小塚原(こづかっぱら)に由来するコツ通りを北上し、日光街道に出て円通寺へ。円通寺には彰義隊士の墓があり、また明治40年に移築された上野寛永寺の黒門には弾痕が生々しく残っていました。次に向かった素盞雄神社には、小塚原の地名の元となった小塚や松尾芭蕉の碑もあります。祭神が降り立ったという瑞光石には富士塚が築かれています。黄色く色づいた銀杏のある境内で記念写真。ここではさんぽの会の旗を見た札幌南高OBとの思いがけない出会いもありました。

 

 千住大橋を渡り荒川区から足立区の北千住へ。千住の宿は、元禄2年(1689)芭蕉の「奥の細道」への旅立ちの地です。「千じゆと云所にて船をあがれば」ということで、千住大橋の北詰の大橋公園内の矢立初の碑を見学。隅田川の千住河岸へ降りて、堤防の壁面に描かれた河や橋の番付を眺め、江戸時代の物流を要地であることを確認し、やっちゃ場へと進みました。やっちゃ場の語源は問屋のセリ声からと言われているそうです。現在も中央卸市場足立市場があり、通りを挟む家々の前には昔の屋号が表示され、往時をしのばせます。

 

 日光街道を北上し、千住宿の高札場跡、一里塚跡の石碑を確認しました。地元にお住まいの加藤さんも、石碑には気が付いていなかったとのこと。東京芸術センター前の問屋場跡・貫目改所跡では、渡辺さんから、本馬・軽尻など駄賃馬の解説をはじめ、「ゆすり」の語源は駕籠をゆすって金品を要求することからというお話を伺い、一同おおいに感心いたしました。旧街道から少し奥に入ったところにある勝専寺へ。本陣の代用も務めるという寺の格式の高い赤門は、1月と7月しか開かないそうです。また、このお寺には「千住」の地名の由来となった、荒川から引き上げられたという伝承を持つ千手観音もあるそうです。

 

 北千住駅前通りを越えて、商店街の真ん中にある本陣跡へ。今は路地裏の看板だけですが、その広さは宿場としてのにぎわいを彷彿とさせるものがありました。

 

 本陣跡を後にして昼食会場の「北海道 はなの舞」へ。海鮮丼やサラダをつまみながら、昼から飲む美味しいアルコールで、大いに盛り上がりました。

 

 

 今回は初めての土曜日開催で、56期の最年少の若者や40・50代の働き盛りも参加し、約7800歩のさんぽで楽しいひと時を過ごしました。いつもの街角に江戸の歴史が眠っていることを教えてくださる渡辺さんに、改めて感謝します。

 

 次回来春5月は築地市場へ出かける予定です。多くの皆様の参加をお待ちしております。(27期 砂澤祐子記)